例えばダム問題。
詳しいことを知らないで書くのは無責任だけど、今ダムはそんなに必要なのか?と感じるところはある。
その一方で現地の人はもちろん中止になれば不利益をこうむることになる。
多数決となると現地以外の人が多いわけだから、現地の人の意見など聞き入れられるはずはないだろう。
例えば空港の話。
東京周辺の人からすれば、羽田空港がさらに国際化が進むことは非常に便利だ。
地方の人からしても羽田を経由したり、新幹線経由で品川で乗り換えがスムーズなど軍配は羽田だろう。
海外旅行客からしても便利なことと思う。
一方、千葉とりわけ成田周辺の人からすれば便益が減るし、周辺としての利潤も下がるだろう。
余談だが、八ツ場ダム予定地近くの群馬大津駅からしても羽田空港のほうが近くて安い。
多数決とはそういうものなのか。
1つの議題で優位に立ったとき、次の議題では劣勢になるかもしれない。
その積み重ねを長年でみると、優劣のバランスが公平になっている・・・
それが多数決による公平という感じなのだろうか。
「カイジ」では、絶対的に公平と思われるジャンケンでも、優劣をコントロールできることをみせた。
「ライアーゲーム」では、少数決にも関わらず、多人数グループで少数を作りだすことを見せた。
娘からすれば、から揚げ2つで満足かもしれないが、息子はから揚げ5個でも足りない。
公平とは数ではない。
どう納得できるかなのだろう。
納得ではなく説得が多い世の中、
そう心に刻んでおきたいものです。。。